歳は取っても やっぱり“桜”

いい季節になりました。京都では桜も散り果て、もう新緑が目に鮮やかです。日頃は日陰でくすぶっている高齢者も、外へ出て陽を浴びたくなります。先ごろ少数精鋭(?)で行われたクローバー会の比叡山ツアーも楽しいものでした。ところが「デジ青」は“冬眠”が続いています。準特急さんからは「もっと発表せぇ~」とハッパを駆けられ、私も日頃のカビだらけの写真は止めにして、この10日間の今年の“桜鉄”活動をご覧いただきます。定点撮影のように、毎年、同じ写真ばかり、一向に進歩のない撮影ばかりですが、高齢者は、これでいいのです。同じ場所へ毎年行けるのが、何より元気な証拠だと実感します。皆さんからも、春の活動レポート待ってます。今年も来ました岩滝口、ぶんしゅうさんと一緒に行って以来、惚れ込んだ京都丹後鉄道の岩滝口駅、丹鉄の前身となる宮津線が開業100年に当たるため、4月14日にはイベントも行われた。イベント参加はそこそこに、午後はやはり岩滝口へ足が向く。列車を降りて10秒、ホーム端から、いま満開のしだれ桜を入れて撮れる。

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新刊本のご案内

当会では昔から熱心な活動で時々デジ青にもバスを含めて古い車両を紹介されている藤本哲男さんがこの度この世界では有名な諸河久さんと共著(写真・諸河久、解説・藤本哲男)で「地方私鉄の記録第2巻北関東編」をフォット・パブリッシングから発行されました。

藤本さんのプロフィールには同志社大学鉄道同好会HP「デジタル青信号」に多数投稿とあります。諸河さんは路面電車に造詣が深いとご本人から聞いたことがありますが、藤本さんとの出会いは60年前のお互いが高校生時代に京都五条坂の「タカハシ写真店」で店主の高橋弘さんから講義を受けて以来とのことです。

さすがにプロと言われるだけの内容ですが、何よりも定価が安くお買い得の内容と思われますので一度ご覧ください。

 

久しぶりにお会いした親友

今年は3月が低温だったせいか桜が新入学の時期までもったようで今日は入学式があったのかランドセルを背負った小学生を見ると微笑ましく感じました。さて、皆さんもそんな桜と電車を写しにあちこちに出かけられたことでしょう。よくワクヒロさんが近鉄電車と桜を発表されていたことを思い出します。皆さんの作品も老人投稿の間隙を縫ってデジ青上で発表していただきたいですね。大体は近場でどこに行くか予め決めておられると思いますが、関東では東中野や池上線の石川台付近が定番でしたが最近は木が伐採されてアウトです。井の頭公園や高井戸-浜田山、駒場東大前などにはよく出かけますが、今日は高井戸-浜田山間の有名な定番撮影地の踏切で鉄研三田会の不錆鋼さんに出会いいろいろと話が進みました。遅い昼食もご一緒させていただき楽しいひと時が過ごせました。不錆鋼さんはDRFC-OB会に参加していただいておりますが、東急におられた関係もあり伊賀鉄道のイベントでも大変お世話なりました。(私より若い)DRFCの訪台したメンバーの話も聞かせていただきました。先日のクローバー会写真展も鉄道友の会京都支部の会合の参加の前に見学されております。湯口さんが上京された折に元三田会会長の高井薫平さんとのお酒の席に不錆鋼さんもよく同席されたそうです。それでは今日は曇天気味でしたので2年前の令和4(2022)年4月2日に撮った高井戸-浜田山間の1779先頭の急行渋谷行きを貼り付けます。

 

 

 

 

二日市・大宰府をめぐる鉄道交通の発達史 展示会開催中

昨年の西鉄宮地岳線廃線跡探訪、貝塚線多々良車庫見学の際お世話になった吉富さんが主宰されているNPO法人福岡鉄道史料保存会が「二日市・太宰府をめぐる鉄道交通の発達史」展を開催中です。西鉄大牟田線が開業100周年、3月には新駅桜並木駅も開業しました。皆様この機会に福岡、太宰府、筑紫の国へお越しください。

場所 福岡共同公文書館 JR二日市駅からバス・徒歩で約10分

開催期間 9月29日まで 5月26日13時30分~15時30分は講演会「二日市・太宰府をめぐる鉄道秘話あれこれ」も開催されます。

 阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑬

阪神国道線 余話

縁あって「阪神国道電車」の本を造ることができました。「神戸鉄道大好き会」というグループがあり、その何人かとは、従来からお付き合いがありました。同会はは過去にも神戸市電の本を出版されていて、そのつぎの出版目標は「阪神国道線」となり、何の所縁もない私も出版計画に入れていただき、もうお一人と、本の企画・編集を行なうことになりました。出版元は、いまは廃業されましたが、大阪にある鉄道書籍では実績のある出版社でした。本の企画・編集については、すべてお任せで、口は出さないが、カネは出すと言う、ある意味では恵まれた出版となりました。好き放題にできた一例が表紙のデザインだった。今までの同社からの鉄道本は、どう贔屓目に見ても、デザインは陳腐そのもので、たとえ中身に値打ちがあっても、表紙を見ただけで購買意欲がなくなってしまう。かと言って尖がったデザインも鉄道書にはふさわしくなく、中庸ではあるが、本の意図をきっちり伝えるデザインとすることにして、デザインカンプを何種類も作ってみた。タイトルも「阪国浪漫」「阪神国道線」「阪神国道電車」と出たが、最終は中央の「阪神国道電車」となった。

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 阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑫

ほかの線区でも走った“金魚鉢”

阪神軌道線の3線〈国道線、北大阪線、甲子園線〉の紹介は以上ですが、実は“金魚鉢”こと71形が走っていたのは、この3線だけではなく、ほかの支線でも走っていた時期がありました。それが尼崎海岸線(出屋敷~高洲、昭和37年廃止)、いまもある武庫川線(武庫川~洲先(当時))なのです。 尼崎海岸線 大正時代、阪神は今津から海岸線に出て、出屋敷まで「コ」の字に結ぶ今津出屋敷線を出願した、第一期工事として、昭和4年に出屋敷~東浜を開業するが、以降は未成線のままとなった(途中の浜甲子園~中津浜のみ甲子園線の延長として開業)。昭和26年に沿線の地盤沈下のため高洲~東浜を休止・廃止。結局、出屋敷~高洲の一駅のみ1.7km、乗車時間2分の支線として残り、“金魚鉢”が細々と走っていた。架線柱、軌道敷は複線分が確保され、当初の構想の大きさを感じさせた(昭和37年9月、篠原丞さん撮影(以下同じ))。

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 阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑪

国道線の西半分を偲ぶ

もともと大阪~神戸を結び、国鉄、阪神、阪急に次ぐ、第4の鉄道とも言える国道線でしたが、国道2号線の渋滞に巻き込まれて、末期は昼間48分ヘッドと、地方ローカル線並みの本数になっていました。特に神戸市内で混雑が著しく、西端の東神戸~西灘が昭和44年12月、続いて乗客減少も著しい西灘~上甲子園が昭和49年3月に廃止されています。私は残る野田~上甲子園の最終間際しか撮っていませんでしたが、本を出版した際に、多くの協力者から、東神戸~西灘~上甲子園の写真を預かっています。ここでは移譲を受けたKさんの写真を載せました。

西灘が終点だった時代、野田へ向けて発車を待つ金魚鉢。交差するのは阪神本線で、左手に西灘駅がある。右手には「ゴンチャロフ」の看板、当時の西灘工場だったが、阪神大震災で全壊し、いまは右手に本社・工場がある。

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広島駅の大型機の思い出

最近は健康食品とかサプリメントとかやたらに老人向けの広告を見かけるが、そんなによく効くのかといつも疑いの目で見ている。ところで、今日4日の日経新聞の文化欄を見るとこんな記事が出ていた。『 認知症、うつ、孤立に【処方】と題して「絵の中にカエルがいる!」「そういえば子供の時、よくカエルでザリガニ釣ったなあ」。3月上旬の佐倉市美術館(千葉県)、認知症の自覚症状がある高齢者など十数人が絵画を前に話し合った。最初は口数が少なかったが、次第に感想があふれてくる。1時間余りの鑑賞会の後半にはみな笑顔で、昔の記憶がよみがえってくる人も。様子を見守っていた家族は「普段はこんなに話さないのに」と驚き、喜んだ。』(原文のまま)

他人から見たらうるさいなと思われるかもしれないが、懐かしい思い出話をすることは健康にいいと申し上げたことがある。懐メロに加えて最近は小学唱歌なども同様の感じがする。私は一人住まいの後期高齢者であり、認知症、うつ、孤立の予備軍であるが今日もデジ青に拙い駅撮りを出してみた。双方向であるとより楽しいが、気が付けば同年代の趣味人の方は大変少なくなったのが寂しい。勿論、若い方からのコメントは嬉しく返事を差し上げているつもりである。

さて、広島駅の大型蒸機は何回か機関区を訪問して撮ってきたが、今回は1964年4月3日、九州から帰りに広島区に立ち寄った機関区巡りの後の2~3カットを出してみた。広島と言えば三原の西村さんが思い出されるがまだ京都にお住いの頃である。当時は同駅発着の山陽本線旅客列車は特急から普通列車迄C59かC62という最高の役者がそろった駅であった。ホームで列車を撮っていたらもう一つの大型蒸機D52が堂々と貨物を牽引していた。

下り貨物のD52373[広島] 戦時設計の粗悪機であったがこの頃は大分標準装備に改装されていた。関西では吹田に長い間在籍していた。▼

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 6 帰路

昨日はこの旅最後の投稿記事を書こうとしていましたら台湾で大きな地震発生と速報がでましてびっくりしました。TVにくぎ付けで台湾の友人とLINEで連絡を取り合いましたが阿里山林業森林鉄道は小石程度のがけ崩れはあったそうですがたいしたことはないとの事で安心しました。高鐵、台鉄とも一時的に運休されて線路点検が行われたそうですが今日は正常運転に戻っていました。台鉄は線路上に大きな岩が落ちてきてこれは当分無理かなと思っていましたが撤去がスムーズに行われたようです。ただ、台北の隣町の新北に走るMRT(環状線)は列車が脱線、高架橋脚がずれてしまっています。こちらは直ぐの復旧は難しそうです。無人運転のMRTです。止まってから乗客がかなり高い高架橋を徒歩で最寄り駅まで向かったそうで怖かったでしょうね。一日も早い復旧を祈っています。

第6日目 3月19日

今回は6日間といつもと比べると短い訪台でしたが念願でした太平山森林鉄道のポンポントロッコ列車の乗車と撮影、阿里山森林鉄道に咲く桜の中を走るシャイ式蒸気機関車の撮影が出来ましたので大満足です。今日は帰るのみです。
7:20 ホテルでゆっくりと朝食を取ってから嘉義駅へと向かいました。

阿里山行きのバス乗り場を見ますと今日も3番目に発車するバスに発車30分前に20人ほどの乗客が並んでおられました。盛況が続いているようです。 続きを読む

 阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺➉

国道線 尼崎から西宮へ

国道2号の中央を走る国道線、撮影意欲が湧くような沿線風景は全くなく、淀川大橋まで歩いて来たものの、そこからの歩きは断念、国道電車に乗って、尼崎の中心である難波(なにわ)、西大島、浜田までワープしました。難波付近を行く、国道線の装飾電車。この付近は、阪神尼崎駅の北西に位置し、賑やかなアーケード街が続く昔からの商業地。現在なら「阪神、優勝までマジック143」と日本一早いマジック点灯を掲げる尼崎中央商店街も近い。右手の立派な三和銀行尼崎支店も、この付近のランドマークになっていて、直交する商店街には今も三和本通商店街の名を残している。

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 5 阿里山にシェイ走る

第5日目 3月18日

いよいよ今日は今回訪台した1番の目的である阿里山の桜咲く中を走るシャイ式蒸気機関車の撮影日です。昨夜は早くに就寝して早朝5時前には起き上がりました。
いつものように駅前の7-イレブンでサンドイッチとコーヒーを買って阿里山行きのバス停へと参ります。
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5:16 発車1時間前とあって、バス停には誰も待ってはおられません。1番乗りです。リックサックを1番位置に置いてからベンチに座り朝食を食べながら待つことにしました。

5:30頃から並ぶ乗客が増えだし、6時前には優先乗車客7人、一般客30人とほぼ定員になりました。直前に並んだ20数名は積み残しです。 続きを読む

 北海道でまた廃止 根室線 富良野~新得の駅を訪ねる

3月31日限りで、JR根室線富良野~新得81.7kmの鉄道営業が終了しました。鉄道としての終了は富良野~東鹿越で、東鹿越~新得は台風被害で不通のまま代行バス輸送になっていましたが、バス代行も終了となりました。先ほどのNHKニュースでも報道がありましたが、北海道の鉄道廃止も、ここ数年、年中行事化していて、それほどの感慨はありません。新しい時刻表にも、数行「営業終了」とサラリと触れているだけ、災害による他の路線不通も小さく載っているだけで、これだけの不通区間があったのかと改めて驚きました。

富良野~新得は、最初に北海道を訪れた昭和40年代、狩勝峠の旧線は新線に移っていて、蒸機の力闘も、車窓からの大眺望も知りませんが、まだ石勝線が開業する前で、道央と釧路・根室を結ぶ幹線として機能していて、何度も列車で通ったものでした。ただ乗ったのは夜行列車ばかりで、深夜の1時、2時、列車で爆睡していて記憶も記録もありません。ここ10年ぐらい、何度か北海道へ行くようになって、やっと明るいうちに同区間に乗ることができました。東鹿越~新得のバス代行輸送については、以前のデジ青でも発表していますので、富良野~新得の廃止駅を中心に見てもらいます。もちろん芦別岳バックの原色キハ40走行など行く術もなく終わってしまい、単なる車内からの撮影です。

今回の廃止区間の始発となる富良野駅で発車を待つ、東鹿越行きの列車、キハ40の単行だが、車内は中国人旅行客も含めて、そこそこの乗客数だった(2018年2月)

 

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 阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑨

クローバー会第10回鉄道写真展「鉄路輝く」も幕を下ろしました。ご来場者のなかには「デジ青読者です」と言って来場される初対面の方、なかには首都圏からの方もおられ、デジ青が広報媒体になっていることを改めて感じました。ネット総数から見ればわずかかも知れませんが、全国のデジ青読者に向けて、微力ながら投稿を続けたいと改めて思ったものです。積み残しのテーマも数多くあって、まずは、来年2025年に廃止50年を迎える阪神国道電車。3線のうち甲子園線、北大阪線は紹介しましたが、「国道電車」の母体ともなった国道線が紹介できていませんでした。まずはそこから紹介しましょう。高架の阪神野田駅の下にあった国道線のりば。左の階段を上がった高床ホームから発着した。右は北大阪線の乗り場で、電車も北大阪線の天六行き。

▲▲低床の北大阪線、高床の国道線(右)が並ぶ。

 

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 4 関仔嶺温泉へ行く

第4日目 3月17日

今日は当初再度阿里山へ向かう予定でしたが昨日のロケハンで明日本番はここで撮ろうと撮影場所は決まりました。今日の阿里山は日曜日で込み合うことは必至ですので再度のロケハンは諦めて温泉でも浸かりに行ってゆっくりとしようと予定変更としました。
温泉は初めて台湾鉄路を一周した2009年5/26に訪れて以来の関仔嶺温泉です。台湾の4大温泉の1つで泥湯温泉としても有名で、嘉義駅前からは路線バスに乗って約22㌔、所要時間は1時間20分ほどです。
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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 3 阿里山森林鉄道の桜

第3日目 3月16日

今日も念願だった阿里山鉄道のシェイ式蒸気機関車と桜のコラボ撮影です。1年に1回のチャンスです。何とか撮りたいと以前から思っていました。3月4日と18日にチャンスがあり今回は18日だけになりましたので撮り逃がさないように今日と明日はロケハンすることにしました。
そのためには嘉義站を出る1番バスに乗って阿里山迄行く必要があります。5時過ぎには起きて嘉義駅前バス停に向かいました。
▲ 5:36 途中でセブンイレブンによって朝食用のサンドイッチとコーヒーを買って向かいました。

まだ真っ暗な夜明け前ですが阿里山へ向かうバス停には、既に6人の方がお待ちでした。

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 2 太平山森林鉄道

第2日目 3月15日

【 太平山森林鉄道 】
今日は念願だった太平山森林鉄道に参ります。この鉄路は羅東森林鉄路終着駅の土場駅と太平山地区を結んでいた森林鉄道で、軽便鉄道とロープウエイ(索道)を組み合わせ、太平山林場の森林資源を外部へ輸送するために1921年に建設されました。1912年全通の阿里山森林鉄路との最大の違いはロープウエイによる輸送があったことです。路線総延長は、36.4 ㌔です。


今まで行きたかったのですが、宜蘭からのバスが毎週土・日曜日にしか、それも1往復だけが運行しているだけとのハードルがありました。乗りたいトロッコもオンラインでの予約発売はなく当日の7時から現地で窓口発売のみ、行かれた方の記事にも既に売り切れていたとの絶望的な内容でした。

でも行きたいと調べていましたら台湾でツアーを企画している地元の旅行代理店KKDay社から一人でも参加できる太平山ツアーを見つけられました。
台北発着のツアーですが途中からの宜蘭発も受け付けOKと分かり申し込みました。ツアー料金は、オンライン日本決済で納得の 4,747円でした。ただトロッコのきっぷ購入だけはご随意ということで、乗車できる保証はありませんでしたが今回は運まかせとして行くことを決めました。
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 西のC59・C62全記録  (14・最終回)

昭和45(1970)年9月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影 ③

ダラダラ続けて来た本テーマもやっと最終回、今回も同じような写真が続きますが“全記録”と銘打った以上、ご容赦いただき、先を急ぐことにします。前回(13)は、午前は小屋浦、昼は広島機関区で写し、そのあと、また列車に乗って呉線へ、晩は再び広島へ戻って夜間撮影。そして駅の待合室で寝て、翌日は一番列車に乗って、再び呉線・広島機関区と、昭和45年10月改正の呉線電化を前にして、最後の乗車・撮影を行いました。今から50年以上前、気力・体力も充実した時代ならではの行動力あふれる別れとなりました。

この日は広島駅の待合室に泊まり込むことにして、夜間、広島駅を発車して行く呉線の列車を写すことにした。C62 15の牽く「音戸2号」。

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 写真展「鉄路輝く」 トークショー行われる !

開場5日目を迎えたクローバー会第10回写真展「鉄路輝く」、今日は午後3時から、恒例のトークショーが行われました。広島や横浜から遠路駆け付けた会員、また外部の皆さんにもご参加いただき、和やかな雰囲気のなか行うことができました。初めて会った方とも、まるで数十年の知己のように盛り上がる、これぞ鉄道趣味を通じた仲間の会だと改めて思いました。午後3時に開始、二十数人が参加して、撮影者から、撮影時の苦労談・失敗談から、果ては撮影の秘話まで、惜しげもなく公開しました。

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 西のC59・C62全記録  (13)

昭和45(1970)年9月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影i②

2週間の九州各地での撮影は、さすがに真夏、今まで行っていた春と較べると、煙はスカスカ、暑いだけで大した成果もなく、「天草」に乗って、深夜の広島到着となりました。

九州からの帰途、再び呉線へ。朝は、やはり小屋浦へ足が向く。架線柱が建ち、架線も張られて、条件はさらに悪いが、広島へ向けて次つぎ通る通勤列車の魅力には勝てない。C59 161の牽く927レ(昭和45年9月13日)

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